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第4回: レイキの歴史
- ◆大正11年3月(1922年)
- 臼井甕男先生が、悟りを求めて京都の鞍馬山で21日間の断食修行中、強烈な宇宙霊気が脳天を貫き、その瞬間「宇宙即我」の悟りを得、同時に霊気による治療能力を体得、霊気療法と名づけられます。
- ◆大正11年4月(1922年)
- 臼井甕男先生は、「この能力を多くの人に授けたい」と、東京青山で臼井霊気療法学会を創設。治療を行なうと共に、療法の公開伝授を行ないました。
- ◆大正12年9月(1923年)
- 関東大震災で多くの傷病者を救済。名声は高く、全国から招聘が多くなりました。
- ◆大正14年(1925年)
- 臼井先生から、神秘伝(最終秘伝)を受けた林忠次郎氏(海軍大佐)は、東京信濃町で霊気治療所を開業。
- ◆大正15年3月(1926年)
- 臼井先生は、旅先で急逝。牛田従三郎氏(海軍少将)が臼井霊気療法学会の第2代会長に就任。
- ◆昭和10年(1935年)
- ハワイの日系二世の高田はわよさんが、難病を林氏に完治してもらい、林氏の弟子として1年間働いた後、ハワイに戻ります。
- ◆昭和13年2月(1938年)
- 高田はわよさんが、林氏がハワイを訪れたときに、林氏よりマスター(神秘伝)を授与されました。その後、現地でレイキ・クリニックを開業。
- ◆昭和55年8月(1980年)
- 高田はわよさんは、22人の弟子ともに、アメリカレイキ協会を設立。この時期から、レイキは、北米を中心に、急速に広まります。
- アメリカレイキ協会は、高田はわよさんの死後(1980年12月)、フィリス・リー・フルモトのレイキ・アライアンス協会とバーバラ・ウィーバー・レイのラディアンス・テクニーク協会に分かれ、現在、アメリカではこの2つの協会がレイキの大きな団体となっています。
- ◆1980年代後半
- レイキは、逆上陸という形で、アメリカから日本に伝わりました。
日本国内では、戦後、消滅したと思われていた伝統霊気でしたが、臼井霊気療法学会は、現在も存続し、伝統は継承されています。
- ◆1987年
- バーバラ・レイ博士の「ザ・レイキファクター」の翻訳本「レイキ療法」が日本で出版され、ブームとなります。
ニューヨーク在住の三井三重子さんというティーチャーが日本全国でセミナーを開催しました。
数年間はほとんど、三井三重子さん一人でセミナーを行なっていました。
三井三重子さんは、レベルI〜IIしか指導できなかったので、ティーチャーを養成することはできませんでした。
- ◆1993年
- ドイツ人のフランク・ペッター氏(札幌在住)により日本に初めて、ティーチャーが養成されます。
- ◆1998年
- 土居裕先生により、「癒しの現代霊気法」出版。
土居裕先生は、消滅したと思われていた臼井霊気療法学会の会員で、この本で、臼井先生の自伝や臼井霊気療法学会、伝統霊気の技法などを紹介。
現在、世界のレイキ人口は、300万人以上500万人ともいわれ、アメリカ、ドイツ各100万人、イギリス、カナダ各30万人、オランダ、ブラジル、アルゼンチン各10万人、ロシア8万人、その他、フランス、スペイン、オーストラリア、チリ、シンガポール、インド、香港、台湾、韓国など世界各国に広まっています。
日本のレイキ人口は、2万人以上といわれています。 |
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(霊気療法から巣立った人々)
- ◆江口俊博(てのひら療法)
- 1925年(大正14年)〜1927年(昭和2年)まで霊気療法を学び、独立して「てのひら療法研究会」を設立。
門下には、江口鎮白、三井甲之、宮崎五郎などが有名。門下生50万人といわれました。
- ◆富田魁二(富田流手あて療法)
- 1925年(大正14年)頃から霊気療法を学び、臼井先生の死後、独立。「手あて療法会」を設立。
初伝・中伝・奥伝・皆伝の4段階。門下には、足助次郎が有名。門下生20万人といわれました。
- ◆その他の伝承者
- 臼井式を学んだ後、「新しい団体を設立した人」や、「宗教家となった人」が、幾人もいるといわれています。
※上記のレイキの歴史に関する資料は、「癒しの現代霊気法」の著者、土居裕先生の貴重な資料から抜粋させていただきました。
土居裕先生に心から感謝いたします。
第1回: YUKOのレイキ考
第2回: レイキとは
第3回: レイキのレベルとレイキの特徴
第4回: レイキの歴史
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