 |

◆芦辺みぎわ(仮名)さん
私はレイキと出会いつつあります。
あえて進行形で申し上げるのは、レイキを使っていくというのは絶え間ない緩やかな変化の過程にあることだと感じているからです。
レイキは確実に愛と調和へと導いてくれます。
レイキを使っていると、日々がその導きの過程となります。
この確信の訪れ自体いつのまにか、気づかぬほど穏やかにもたらされました。
その導きはもどかしいほど穏やかで、過程は、苛立たしいほどに気長くゆっくりなのです。
振り返ったときに実感する驚くほどの変化への感謝と期待、現在進行しているに違いない変化のあまりの緩慢さへの絶望と怒りの繰り返しです。
この手紙は私のひとつの気づきの先生への喜びの報告です。
レイキを受けて、2ヶ月目か3ヶ月目でした。
手紙に先立つ10年間、心身症に苦しみ、さらにその遠因となった幼少期のトラウマを自覚して、そのころからの苦しみを思い返して苦しみました。
進学もあきらめ、将来の夢もなくし、友人との会話も、外出も、音楽を聴くことすらできない精神状態で、自分の人生を理不尽に奪われたように感じました。
10年間、さまざまな治療を受けました。
内分泌科から心療内科、鍼灸、気功、神経科、ヨガ合宿、気功、自立訓練法、おはらいまで。
心の状態は前後半に分けることができると思います。
10年間の前半は離人症的な苦しみでした。
一切のリアリティーが失われ、感情が失われました。
朝起きて絶えるべき砂漠の砂のような膨大な時間に、しかし絶望することさえできませんでした。
なぜなら絶望も感情の一種なのですから。
後半には怒りと恨みと強い恐怖が私を貫きました。
トラウマを与えた父とその母親への恨みに‘自分の’身を焼いて苦しみました。
笑うことがまったくできなくなりました(比喩ではありません)。
悲観的になり、常に恐れ、怒り、被害者意識に燃えて、すべてを恨み、呪いました。
この怨念の炎の前に、あまりにも私の人格があっけなく灰になったのがショックでもありました。
治療の多くは無力で、中には、有害なものもありました。
ある療法で激しく自己反省を強いられた私は、自信の一切を失い、それでなくても希薄な自己の存在基盤のすべてを失いました。
普通は自覚していませんが、人は「ありがとう」「ごめんなさい」というためにも自信が必要です。
外界の一切から自分を守っているのは自信なのです。
イナバの白兎状態で世界に放置された、と感じた私は一層暗いところへ落ちて行かなければなりませんでした。
すでにほぼ、一切の人間への信頼は失っていました。
そんな中でも良くなりたいとの思いを持ち続け、「誰か治してくれる人」探しを断続的に続けるなか、気功の良い先生に出会って奇跡的に回復し、お勤めをできるくらいになったのです。
心の病気は外から見てもわからないくらいに、自分の内面に抱え込めるくらいの大きさにはなっていました。
険しい心も「性格の悪い人」くらいに見せかけることができていたと思います。
しかし、自分の病気を抱え込んで隠すのは辛いものです。
いつ馬車がかぼちゃに戻るか綱渡りのような毎日です。
人前で出てしまったら隠しようがない!という恐怖。
本当は病気持ち、という後ろめたさにも苦しみます。
また、子供の頃からの「得体の知れない恐怖」も抱えたままでした。
気功の先生からは「後は自分で治せます」といいう言葉を頂いたものの、遅々として治らず、苦しむ辛い日々でした。
徐々に、気功の先生への信頼も怪しくなってきていました。
より強力な気功の先生探しに、気功関係の雑誌を読んでいて、レイキ関連書物の広告を目にしたのが最初でした。
レイキって? という好奇心からホームページの検索を繰り返し、さまざまな情報を得、多くのセミナーの資料も取り寄せて検討した末に、一回やってみようかな、という気持ちでした。
そんな、駄目で元々の気持ちから「レイキI」を受け、手応えを感じて、より強力な効果を求めて「レイキII」を受け、深い感動を受けて「レイキIII」を受けることになります。
以上が私がレイキに出会うまで、の簡単な経過です。
ゆう子先生へ
先日、レイキの復習の意味で「レイキII」のセミナーを受けた帰りに、飲みに行くって申し上げていましたよね。
が、楽しい飲み会の帰り、何と迷子になりました。
私だけが違う方向だったのです。
心細く、雨は降るし、「なんで?? どうしてこんな目に会うの? ひどいわ!」と思いました。
「タクシーがきてくれれば!」 迷子という状況の打開を願って、レイキのシンボルを何度かかけました。
タクシーは来ませんでした。
その代わりに突然頭のてっぺんを指圧されるような感覚があり、「いつまで愛情を漁っているの? 私は愛情の受け手でいる限り、何時までも貧しいのだ」という考えが浮かんできました。
「誰かが送ってくれればこんなことにならなかったのに」、「どうして誰も一緒に帰ってくれなかったのかしら」、「車で送ってくれればよかったのに」と、思っていたわけですが、そんな必要は全くなく、自分でこの現状を何とかできることが分かりました。
実際に行動できると感じ、実行する勇気がどこからかやってきました。
ちゃんと知っている道に出て電車に乗れた時、自転車に乗れるようになった時のような達成感と充実感と、何より自分への信頼が回復されてきている驚くべき感覚が残りました。
レイキとは自分の願った以上のことが実現するのだと感じた最初の瞬間でした。
その時から私は愛情を求めることはもちろんあっても、もう、漁って歩く愛情の乞食ではなくなりました。(と感じています)
また、先日は妹といとこと待ち合わせに急ぐ際(この2人ともまったくの偶然から突然会うことになったのも不思議ですが)、レイキしてたのにいやな目にばっかり遭いました。
自転車置き場の管理人にいやなことを言われる、入ったレストランでいやな対応をされる、エトセトラ。
「もう、せっかくレイキの素晴らしさを語ろうと思ったのに、これでは形無し!」
私はこんな目に会って、特にレストランでの対応にものすごく怒っていました。
しばらくしてから、でも、気づいたのです。
このような人の対応が、以前とは比べ物にならないくらい私を傷つけなくなったことに。
多くのことが、いつのまにかいちいち私を傷つけたりせずに、「過ぎていくこと」「許せること」、何より、私は、「その支配を恐れて、傷ついたり恐れたり傷つけたり」しなくて、よくなっていました。
全てではありませんよ、もちろん。でもそういうことが多くなっていたのです。
レイキって願ったことをかなえてくれるものではありませんでした。
願ったこと以上をもたらしてくれるもののようです。
この2つは私にはとっても感動する出来事でした。
印象的でした。
ゆう子先生のことをとっても頼もしく思っています。
何かあったら相談させてください。
まだまだ泣きつくことも何度もあるかもしれません。
でも、愛情の乞食でなくなった私は、もう一つ、癒しの乞食からも脱しよう、と思います。
気づかなかったけれど、長いこと患者でいる間に、私は癒しの乞食になっていたのかもしれません。
「癒し手」との関係、「癒し手」への関係といった方がよいかもしれませんが、整理し改めて 「脱=乞食」を試みます。
先生にまとわりつく乞食ではなくて、先生を良き師として、自分のヒーリングアートを築いていきたいと思いました。
これからも、というか、これからどうぞよろしくお願いいたします。
ずっと私の先生でいてくださいね。
そのために、私も劣等生からの脱却を試みます。
何れにせよ、頑張りますのでお付き合いくださいませ。
■前ページに戻る
|













|